父と和解したくて聖書の一部分を持ち出したのですが・・・。 子供の頃

父と和解したくて聖書の一部分を持ち出したのですが・・・。
子供の頃に厳しいしつけ(今でいうと虐待)を受けて、父親とはずっと不仲でした。 しかし私の結婚や出産に伴い、さすがの父も孫はかわいいようで、父とは休戦と相成りました。
孫の前では私を怒鳴りつけたり叱ったりすることなく普通のおじいさん風でしたので、私も安心して実家へ遊びにいったりしておりました。
しかしその娘(孫)もいよいよ大学受験、もうあまり実家へはいかなくなりました。
このあたりで私も、父と和解したい。
父ももう70近くなり、さすがに気弱なところも出てきたろう。
そう考えて実家へいきました。
雑談の会話です。
私「お父さん、昔、私がよく嘘ついていたから怒ってたね、殴るし蹴るし」
父「嘘つきはなかなか直らんからな、口でいっても聞かないから、体に叩き込んだんだ」
私「あのとき私が、お父さんは一度も嘘ついたことないの?と聞いたら、お父さんは一度たりとも嘘をついたことはない!!といってたね」
父「さぁどうだったかなー」
母「言ってたね、さすがにそう言って啖呵切ってたからビックリしたわよ。何も言わなかったけど」
私「聖書でさ。悪さした女の人が、村人に石を投げられそうになったんだよね。そういう法律だったから。でもキリストはこう言ったの。汝らの中で、罪なきもの、まず石を打てって」
父「聖書はしらん」
私「村人のなかに罪を犯したことない人がいたら、その人からまず石を投げなさいって。そしたらどうなったと思う」
母「どうなったの」
私「誰も石を投げずに、そのまま皆帰ったんだよ。つまり大勢の人の前で自分は一度も罪を犯したことはない!といえる人は誰一人いなかったわけ」
母「まぁさすがにねぇ。そこで石投げたら、周りの人から、あの人は昔悪いことしてたぞとか、いわれそうだわね」
私「でもお父さんなら、俺は一度たりとも罪を犯したことはない!!と叫んで、石投げるんだろうね?人生で一度も嘘ついたことないんだから、ましてや罪なんて犯したことないよねー」
父「俺は覚えてないといっただろう!!!お前は何がいいたいんだ!キリストかぶれになったのか!!」
私「そうじゃないでしょ。村人たちだって自分の胸に手を当てて、自分のこと省みて、罪を犯した女の人に石を投げることが出来なかったんだよ。でもお父さんは私に平気で石を投げた、自分は嘘ついたことがないからと、嘘ついて!!」
私「お父さんは今に至っても自分の間違いは絶対認めない。お父さんは今、私に謝るところだよ」
父「お前はバカか!育ててやったのになにを謝るんだ!嘘つくのは悪いことだからしつけてやったのになんで謝るんだ!バカか!」
こんな調子で、再び喧嘩別れとなりました。
だめですかねー
こういう父親はどこまでいってもダメですかね。
足腰弱ってヨボヨボになれば少しはマシになるのかな。



思っているよりも溝は深いようで自分も家族に対してそのような事情があります。自分のケースの場合は自分が考えてもいなかった癖や行動が相手にとって悩ましい問題である事があります。それこそそういう事が相手にとって悪と思われたり、逆に相手の行動が悪としか思えない事だったり。その場合自分はたまたま恋愛や聖書を読んで考えるところから改善が始まりました。
正直に自分の意見を言うと厳しい言い方になるけどキリストの教えを父親に押しつけているだけだと思う。嘘をつくのは良くないけど殴る蹴るはもっと良くない。自分は殴られた事はないけど本人からしたらすごいトラウマになるよね。それで防御するために嘘をついてそのスパイラルに陥ってしまう。正論は必要だけど要は自分が相手にとって悪いところだというとこを自分から改善していかないとまた元に戻ってしまうから相手にとって自分のなにが悪いのか冷静に考える必要があります。もしわかったら相手の悪い行動にしばらくこちらが耐える時間が必要です。愛も忍耐なので。改善策がわかってそれをすぐ行動しても裏目にでるので長い目で見ていくといいです。会話が最短だけどイザコザになるケースも会話なのでまず会話ではなく行動から変えます。
また父親はそのようなキリストの教えが全く頭に入らない状態です。自分がキリストの教えに正しいことを発見したなら自分の内から変わるのが先になります。父親は質問者さんを苦労して育ててきたのに報われていない、そう考えているように感じます。いきなりそんな父親を感謝するというのは難しいでしょうからせめて許すことから始めてみてはどうでしょうか。相手を許せるときに自分の悪い癖や行動がわかる場合があります。どうしても感情が邪魔してしまうけど今までの深い溝がある分どうしてもしかたないですよ。また相手の人間性の器のサイズもあるからこういうような父親ともっと仲良くなりたいと考える前に父親ってそもそもどんな人間なんだろう?と1度冷静に考える必要があります。多分質問者さんのほうが人間としての器量がいいと思うから言葉は悪いけど父親をうまく扱う、というような感覚で接するのがいいように思います。親子といえど自分のことをわかって貰おうと対等に訴えるとうまくいかないんです。どちらかが認めてうまくあしらうしかありません。対等の立場で張り合おうと考えてはいけません。相手にも考える時間が必要ですからね。
◆プライドの高い人には、どれだけ正しいことを言っても、叱る方向性で話す限りそういう対応されるのは当たり前ではないかと…。なんとか自分が勝った状態で仲直りしたい、という思いはなくした方がいいと思います。互いに譲らず口論をする流れでは絶対に良い終わり方はできません。
「小さい頃は嘘ばかりついてごめんね」でいいと思いますよ。むしろ自分が間違っていたことを聖書から引用して説明するべきではないでしょうか?「父母を敬え」とか「右の頬を打つなら左の頬も向けなさい」などを使って謝り、聖書にはいいことが書いてあると納得させた上で、その罪を犯した女の話や8つの幸いについて話すといいのではないでしょうか。「聖書って他にもいいこと書いてあって、たとえばこんなのとか…」と。
おそらくその意味を質問者のお父さんに当てはめてわざわざわかりやすく言うよりも勝手に自分で分かります。
だいたい人は自分で意味が分かった時が1番こころに響くと思います。人に言われたら反抗してしまったり、感動も水の泡です。
◆会話の仕方が間違っているように感じますし、これは和解ではなく、あなたが謝罪を求めていますよね?
◆その方それぞれの、人生観と生き方がありますし、経験も
違います。確かに手を上げられたとか経験もおありでしょうが
初めてのお子さんだったなら、誰しも理想を描いて厳しく
育てます。その間に誤解があっても致し方ない事態かと。。
そのお父上に反発していながら真っ直ぐ育ち、子離れの
時期を迎えようとしている。聖書の話は反発や疑問を
持たれる事が多いでしょうし、受け売りの内容で勝負しても
意味は持たないかと。。親や大切な人と話しをするなら
本音でぶつかる事です。人の意見は親子間では意味を成し
ません。
◆そんな喧嘩売っているような会話が成り立つとでも?w